恵那市岩村町を訪ねました。
明知鉄道岩村駅から岩村城へとダラダラと続く商店街は、いつもと違って今日はにぎやかです。
最近、テレビ放映がありその影響かなと思いましたが、放送日からすでに2週間たっています。
まさか?、と思いつつ行き交う人の顔がほんのりと紅い事に気づきました。
しかも酒くさい。???
何だと思い外にいた焼き鳥屋のご主人に
「なんか今日はえらい人がおるけど何があるの?」
「今日か?今日は蔵開きあるもんで人が多いわ!」
「蔵開き?何の?」
「
女城主の蔵開き
よ」
「あー、
岩村醸造
の
蔵開き
?」
それはさておき、今日岩村町を訪ねたのは町並みを散策するためです。
岩村町には
岩村城跡
がありますが築城の歴史は900年ほど前までさかのぼり1100年頃といわれています。
明治の頃までお城は健在だったそうですが明治時代の廃城令で廃城となり今は城壁を残すのみとなっています。
ただ、当時お城にあった文化財は入札により大半が岩村の旧家に残されているそうです。
ところで岩村城は小高い山の上にありますが、水はいったいどうなのよ?と不思議に思っていましたが、
標高が高くても井戸が四箇所あり水が湧き出ていました。
なお、取り壊されたお城は何年後になるのかは分かりませんが当時のものと同じ建築方法(木造)で復元する予定らしいです。
ただ復元となると相当な資金が必要なようでこれはこれで大変な事のようです。
小高い山の城壁
は風が冷たく(2月上旬)じっとしてられないので町へ降りてみます。
岩村町は、山城・岩村城とともに栄えた町です。
町の歴史が長いため江戸末期、明治、大正、昭和初期の建物が混在しています。
岩村町の町並み
は、明智鉄道岩村駅から、岩村城に向かって一直線に緩やかにダラダラと続いています。
町並みの特徴は古いことでしょうか。
商店街には洋式の建物はありません。
全て和式造りで、商店に限らず信用金庫も和式造りです。
これは、平成10年に岩村町が国(文化庁)の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたためです。
選定当時は、アルミサッシの建具やトタン貼りの壁などが数多くありましたが、
これらも全て木造の物に改修し現在にいたっています。
町全体が、落ち着いた雰囲気なのはこんなところからでしょうか。
各商店の軒先には、
飾り花が飾ってあり、青いのれん
が掛かっています。
のれんには、そこの女主人の名前が記入されており、女将さんの名前がすぐ分かる仕掛けになっています。
またお店の中に入ると、どこのお店でも必ずといっていいほど、
お茶とその家で漬け込んだ漬物が用意されていて遠来からのお客さんをもてなしてくれます。
町の中を散策すると
ナマコ壁
や
古い建物
が目につきます。
江戸末期の商家
は見学ができます。
岩村城は明治時代に廃城となりましたが、その折にお城の備品を入札したそうです。
落札された備品は、これらの商家に保存されているものもあるそうです。
左の写真は江戸時代から続く
薬種商「マルミ薬局・現在水野薬局」
です。岐阜県内や三河地方に薬を卸していたそうです。
軒先に掛かる看板はケヤキ造りのとても古いもので貴重なものです。
さらに町の中を散策してみました。
今では珍しくなった
赤い郵便ポスト
もここでは珍しいものでもなくあちらこちらで愛嬌のある丸い形が目に付きます。
赤い郵便ポストよりさらに古い
大正時代に使われた黒い郵便ポスト
も現役で頑張っています。
岩村城の麓に民族資料館があります。
明治年代の藁葺き屋根(トタン張り)の民家を移築したものです。
入館料は歴史資料館と共通で400円。
民族資料館の入り口を入ると、なんと懐かしい
土間になっており、馬屋があり囲炉裏
があって水屋があって、何となくこんな光景を見た記憶があります。
今でこそ、土間造りの民家はほとんど現存しておりませんが、百姓の血筋を引く私には懐かしくてたまりませんでした。
考えようによっては、今はやりのバリアフリーで、家の中が外と繋がっている様式は、外仕事をする人にとってはとても便利と思います。
私ももう一度家を建てる機会があれば、土間造りを取り入れたい思っています
館内には、町民から寄贈された大正〜昭和初期の民具や農機具などが、
所狭しと並べられ雑然としていますが、それぞれをよく見れば
何となく懐かしい匂いのするものばかりです。
館内に展示されている道具類は、大半が手動式のもので、
手押し式消防ポンプ、足踏み敷き脱穀機、千把扱き、機織機などがあります。
手足や体を使って作業をする道具は単純ですが、
物理的作用を組み合わせた構造はよく考えられたもので感心してしまいます。
写真は
足踏み式オルガン(YAMAHA製)
ですが残念ながら壊れており音は出ませんでしたが塗装もしっかりとしていて当時の輝きを今も保っています。
今でもこのような構造のオルガンが製造されているのかとインターネットで検索したところあるんですね
「足踏み式オルガン」
が。ZENーONというメーカが製作しているようです。
これも懐かしい
真空管ラジオ(ゼネラルエレクトリック社製)
です。
年代は分かりませんが、国産品では無いので当時としてはかなりお高い商品であったと思います。
本体は木製ですが、曲げの部分がとても美しいです。
私が生まれたのは戦後ですが、生まれた当時の電化製品といえば電球とラジオぐらいなもので、
ラジオから流れるドラマを聞くことが貴重な娯楽でした。
テレビも無かった時代でしたので確か朝6時45分頃に放送された「パパ行ってらっしゃい」でした???
女優が一人三役の番組でしたが、毎日楽しみにして聞いたものです。
左の写真は、
手動式電話機。
使い方は、電話機に装着されたハンドルを回して電話交換手を呼出し、連絡したい相手先の回線に接続してもらう方式です。
この方式は20年ほど前まで現存していました。
確かダイアル「100番」を回すとオペレータが出て、相手先を呼出してもらう方式だったと思いますが、記憶が曖昧なので調べたら、現在ではオペーレータを介す方式は「コレクトコール(着信払い)」106番だそうです。
この電話機が現役の頃は、郵便局のなかに電話交換所があって綺麗なお姉さんが交換機の前に座っていた記憶があります。
その当時電話交換員は、女性にとって花形の職業だったそうです。
右の写真は
手動式消防ポンプ。
今でこそ火事の場合、消防用上水道に消防用ホースを接続して簡単に放水ができますが、上水道もなかったその昔は、川から水を汲み上げていました。
もちろん動力式のポンプありましたが、扱いの難しい蒸気式でした。
この手動式消防ポンプは、「腕式消防ポンプ」といわれ大八車に装着して使われたそうです。
消防ポンプには「本郷村」とありますが、昭和29年に岩村町と本郷村が合併して岩村町になったため、
このポンプは昭和初期のものらしいです。