瑞浪市桜堂薬師
は、瑞桜山桜堂薬師又は妻薬師と言われ弘仁3年(812年)三諦上人覚祐によって開かれた嵯峨天皇の勅願寺だそうです。
当時の桜堂薬師(法明寺)は比叡山・高野山の開山に前後して開かれ、これらと並んで日本三山のひとつと称された名刹で坊数24あまり。
麓であった桜堂薬師山門から屏風山にかけての広大な場所にそれらの諸坊が建ち並んでいたそうです。
1571年10月に織田信長の命を受けた兼山城主森長可が火を放ち全て焼失しましたが、本堂だけは直ちに再建されました。
しかしその後台風、地震により大破し、再び寛文7年(1667年)に現在の建物が再建されたそうです。
本堂には焼失を逃れた当時の
数多くの仏像が安置されています。
またこれらの他に、絵馬なども数多く飾られていて瑞浪市の貴重な文化遺産となっています。
ただ残念な事に、この本堂にあった絵馬や掛け軸など数十点が、平成14年に盗難にあっており未だにその所在が分かりません。
いまでこそ盗難よけの金網などで防御してありますが、つい最近までは無防備に近く、誰でも気軽に立ち寄ることが出来る事が、災いしたようです。
ちなみに薬師寺の本堂がある地域の地名は、「桜堂」と言われ桜の季節には本堂横の
枝垂れ桜
が見事な花を咲かせています。
毎年薬師寺では、4月の第一日曜日に地域の人々により「春祭り」が開催されて、祭りに合わせてこの枝垂桜もライトアップされています。
残念ながら私がお邪魔した日はライトアップが終了する日だそうで「今日はライトアップは無し」との事でした。
ライトアップの期間はわずか三日間だそうです。
境内をブラリと散策してみました。
写真は山門の
仁王像
です。
山門右側に安置されているものですが私どもは「仁王様」と呼び、口を開け、その険しい顔つきに子供たちは恐怖を覚えたものでした。
大人たちはここぞとばかり「悪いことをすると仁王様が食べにくるぞ」と驚して子供たちをさらに恐怖の淵へ陥れるのでした。
今でも子供(幼児)たちは、この顔を見ると大半は顔が引きつるそうですが、中にはヒネた子供もいて「作り物でしょ」
と全く取り合わない猛者(女児)もいるそうです。
その他境内には戦後まで使われていた
歌舞伎舞台
があります。
回り舞台のある本格的な物で、この周り舞台は今でも実動するそうです。
ちょうど春祭りの片付けをしていた地元の方に舞台の名前を訪ねてみたのですが・・
「この歌舞伎舞台は古いみたいやのー」
「そや、戦後までここらへんの若い衆が歌舞伎をやってござったが」
「今はもうやりゃーへんかな」
「アカンわ。みんな勤めに忙しいもんでやっとれすか」
「フーン。ところでこの建物は何て言うの」
「オラァ新参者だもんでちょっと分からん。家の爺様に聞いたるわ。ちょっとまっとりゃー」
携帯電話を取り出して
「オイ、お爺おるか?代わってくれ」
「お爺か?お薬師の歌舞伎舞台の名前は何と言うや?」
「ナニ、分からん?ナンデー、分っからへんの?」
「アカンわ。お爺、ボケちゃったもんで忘れたらしい」
「・・・・・・・・」
ということで名前は分かりません。
現在では、この歌舞伎舞台の敷地内に児童館が造られています。
児童館はこの地域の子供たちの遊び場になっていて、
児童館の公園ではそれこそ幼児から小学生、中学生が入り乱れ、
男子も女子も一緒に
多くの子供たちが遊びまわっていました。
昔はこんな光景はザラだったのですが、子供たちが家の中でテレビゲームに遊びほうける世の中では、とても珍しい光景になってしまいました。
こんなところから、子供なりに上下関係とか上級生の知恵や知識を吸収して、大きく育ったっていったものですが、テレビゲームのバーチャルの世界では何ともなりませんネ。
子供が集まって遊ぶことが出来る場所を提供するだけで、子供たちはそこに集まり自由に遊ぶようで、このような施設や場所があちこちにあれば地域の子供たちの連帯感も強まり、
大人になっても楽しい生活が送れると思います。