6月も半ば、おそらく当地方では最も遅い田植えだろうと思います。
写真は、美濃加茂市蜂屋町加瀬田地区の田植え前の田んぼの風景です。
昭和50年頃から、田植えの時期はどんどんと早まり、早い田んぼでは4月下旬頃に田植えが始まります。
戦後の間もない頃は、田植えの時期といえば6月の中旬以降が相場でした。
田植えの時期が早まったのには、大した理由はありません。
早いから、おいしいお米がとれるというものでもありません。
田植えの時期が早まったのは、二期作を止めたからです。
戦後の頃は田んぼは大忙しでした。
秋に米の収穫が終わると、直ぐ田を起こして麦を撒きます。
6月になると、麦を収穫して今度は稲を田んぼに植えます。
田んぼでは一年に2回、初夏には麦を、秋には米を収穫していました。
しかし昭和30年代に麦類の輸入が自由化されると、手間のかかる日本の麦は誰も買い手がつかず、
あっさりと姿を消しました。
そして米だけが作られるようになったのです。
麦を作らなくなった田んぼでは、台風の影響を避けるように、田植えの時期がどんどん早まっていくのでした。
右の写真は収穫前の麦です。
関市下有知寺田の田園地帯に植えられたものです。
これは国の減反政策による転作作物です。
現在、国は減反率50%を目標としていて、麦の収穫後は田んぼは秋まで放置されます。
戦後の食糧難をしのいだ田んぼも、食生活の欧風化により
消費量が落ちてしまい、田んぼの半分は荒れた休耕田となっています。
米の消費量は、昭和30年代には一人当たり年間約ニ俵(約120キロ)の米を食べていました。
現在では年間一俵(60キロ)の米を食べています。
食生活の変化から、米以外にパンや肉を食べるようになり大幅に減少しました。
ところが、世界規模では逆に米の消費量が増加しています。
この10年間で、1.2倍ほどに消費量が増えています。
これは、トウモロコシを主食としていたアフリカ諸国などで米の消費が増えているためです。
米の調理はとても簡単で、米を洗い水を張り火にかけるだけです。
ところが、トウモロコシや小麦等は一旦潰したあと、焼く等の調理をするためとても面倒なのです。
このためアフリカ諸国では、この手軽に調理が出来る米の消費が増えているのです。
また、麦も皮肉な事に最近の健康志向ブームで消費が増えています。
でも今の農業政策では麦はとても採算が合いません。自家消費のために
麦を作り続けている農家がありますが・・。
戦後は、麦は米の増量策として米に混ぜて焚き、いわゆる白米のみを食べる事は無かったのですが、あのパサパサとした食感が果たして現代人の口に
合うのか?。
一度覚えてしまった白米の味を、いくら健康志向といえど変える事は難しいものです。
■写真(左):雉の夫婦観察していると、雄が辺りを警戒しながら先に歩き、そのあとを雌がついて回るようです。
雉の世界では、男の威厳が保たれているのですね。
■写真(中央・右):代掻きの時に集まってきた鳥たち稲を植える前に必ず行う代掻き。
この代掻きが始まるとカラス、セグロセキレイ、ムクドリなどが目の色を変えてやって来ます。
お目当ては、代掻きのために避難をするケラや蜘蛛やミミズなどです。
ムクドリは、ちょうど雛を育てている季節でしょうか、口にありったけのミミズをくわえて
なおも耕運機の後ろをウロつきます。
何もされないという事が分かるようで、足元まで近寄ってきます。
田んぼの主、
トノサマガエルです(右側)。
左はババカエル(ダルマカエル)
いまでは田圃もコンクリートで囲まれるため、このトノサマガエルも激減しています。
ババカエルは正式な名称ではありません。
田圃では、ポピュラーなカエルですが正式名称はダルマカエル